部下のやる気を削がずに口うるさく指導する一つの方法
- 池上秀志
- 4月9日
- 読了時間: 7分
突然ですが、あなたは部下に何か指導する時に、あんまり言い過ぎると部下のやる気がなくなったり「自分は信頼されていないのではないか」と疑念を抱かれたりという結果をまねくことになる、しかしながら、言わねばならないものは言わねばならないといったディレンマに悩まされたことはありませんか?
こんな時、あなたはどうされるでしょうか?
相手が人間である以上は必ずこう教えれば良いという絶対的な方法論はないと思います。ですが、私の経験上、この説明を加えると比較的理解してもらいやすいという方法を紹介させて頂きます。
是非参考になりますと幸いです。
先ず初めに整理しておきたいのは上司と部下の心理状況でしょう。口うるさいことをいちいちいう上司の立場としては次の3つのパターンが考えられます。
1別に信頼していない訳ではないし、多分大丈夫だろうと思っているけれど、何があるか分からないので毎回確認のために指導する
2実際問題、まだ信頼して任せられるレベルに部下が到達していないが、徐々に独り立ちして欲しいので仕事を任せながらも細かく指導する
3個人的な感情に基づくもの。例えば、いじめ、自分の存在感を示したい、優越感に浸りたい、なんか部下がムカつくなどなど。
次に言われる側の部下のうち、反感を抱くものの気持ちを整理してみましょう。考えられるのは次の3つです。
1自分は信頼されていないのではないかと疑念を抱き、それが反感に繋がる。
2今から宿題をやろうと思っていたのに頭ごなしにお母さんに「宿題やりなさい!」と言われるとやる気がなくなるのと同じ状況。やろうと思ってるところに上司からいちいち言われるとやる気を無くす。
3個人的な感情に基づくもの。例えば、普段からその上司のことを尊敬していない。上司自身が仕事が出来ないのでその人に言われたくない。なんかその上司が嫌い、むかつくなどなど。
それぞれ、だいたい3つのパターンに分けられるかなと思います。このうちの3つ目のパターンについては、これから紹介させて頂く方法では解決しないです。普段から、部下から尊敬されるようにきちんと仕事をこなし、仕事を頑張り、爽やかに挨拶したり、部下にも丁寧に接するなど、この人の為なら頑張ろうと思われる状況を作っておくことが大切でしょう。
また、そもそも部下が人間として未熟で、まだ子供レベルであれば、つまらない感情に流されてしまうのも当然のことです。現実問題として、こちらの問題だけではなく、向こうがまだまだ未熟でわがままで自己中心的で、自分の都合や自分の側からしか物事を考えられない人もいるものです。この手の人にはそもそも先ずは大人になってもらえるように教育する必要があるでしょう。
本記事では3つ目のパターンは別問題として省かせて頂きたいと思います。
本記事内では1つ目のパターンと2つ目のパターンを問題とさせて頂きたいのですが、それぞれに上司と部下の間ですれ違いが起きています。
上司の方は1つ目のパターンであろうと2つ目のパターンであろうと必要だから言っているのです。特に、1つ目のパターンにおいては信頼していない訳ではなく、信頼はしているけれど、念のために言っているだけです。
そして、2つ目のパターンにおいては信頼していないことは事実であるけれど、そこには部下に成長して欲しいとか、あるいは部下にミスをして欲しくないという親心がある訳です。
一方で部下の方はどうかというと、必要なのは分かっているけれど、そんなぐちぐち言われるとやる気を無くすとか信頼されていないと感じるとやる気を無くすという感情の摩擦が生じる訳です。
いずれにしても、ここで重要なのはこちらが部下に口うるさく指導している必要性を理解してもらうことが第一歩になってきます。必要じゃないのにいちいち言われていると感じるから「うるさいなあ」とか「そんなに俺が信頼できないのか」という態度へと変わっていく訳です。
繰り返しになりますが、場合によっては信頼していない場合もあります。それも事実です。信頼していないからいうんです。
でも、本当に一ミリも信頼していないのであれば仕事を任せたりはしません。ゆくゆくは出来るようになって欲しいし、大きなミスを起こして部下に責任を感じさせる前にこちらで手助けしてあげたいという気持ちもある訳です。
このあたりをどのように説明するのかということですが、私は常に以下の説明を試みています。
小学生の頃を思い出してみてください。小学生の頃、クラスの中で一番頭の良い子を思い浮かべて下さい。もしかすると、あなたかもしれません。
そのクラスで一番賢い子、あるいは学年で一番賢い子は絶対に計算ミスをしなかったのでしょうか?
小学生レベルの計算なんて、誰でも出来ます。でも誰でも出来ることなんだけれど、全員必ずミスをしないでしょうか?
ミスの精度が異なるだけで、賢い子も勉強が出来ない子も絶対に計算ミスをします。もちろん、私もします。
100マス計算を思い出してください。100マス計算の計算なんてだいたいは1桁×1桁や1桁足す1桁の計算です。たまに2桁×2桁とか2桁足す2桁の100マス計算もありますが、せいぜいその程度です。全員出来ます。出来ない人なんて一人もいません。
でも、同時にミスをしない人もいません。絶対にミスをします。そして、計算速度を上げれば上げるほどミスは増えます。
漢字も同様です。知らない漢字が読めない書けないのは仕方がないのですが、知っている漢字だけれど、書こうと思うと出てこないことはよくあることです。私も普通にあります。
仕事も同じです。誰でも出来るような仕事であったとしても、絶対に誰もがミスをするのです。そして、速度を上げれば上げるほどミスの確率は増えます。
じゃあ、ミスをしなければ良いのかというとそうでもないです。ミスをしないようにしようとすると仕事の速度が落ちます。生産性が落ちるのです。
ですから、一番良いのは仕事の速度を上げようと努力しつつもミスが起こらないように複数の人間で確認作業をすることなのです。
このように説明すると、だいたいしつこく指導することの必要性を分かってもらえます。また、その時に同時に伝えておくと分かってもらいやすいのは自分もミスをすることを認めることです。
自分も必ずミスをするからもしも気づいたら教えてほしいと一言添えておけば更に必要性が理解してもらえます。
実際問題、社長がミスをしてもそれを指摘するのはなかなか勇気がいることかもしれません。
ですが、必要か必要でないかで言えば、必要なことなのです。社長だからミスをしないとか部長だからミスをしないなんてことはありません。
もうすでにお分かり頂けたと思いますが、最後にダメ押しの説明を加えさせてください。
あなたは雨が降った時、天を恨むでしょうか?
恨むとすれば、ちょっと生き方を変えた方が良いでしょう。そんなことでいちいち恨んでいたら、感情の浪費でしかないです。
一方で、私があなたを理由もなく殴ったらあなたは私を恨むでしょうか?
恨むは言い過ぎかもしれませんが、怒りはするでしょう。
一体この違いは何でしょうか?
大きな違いは雨は全員に平等に降るのに対し、私が殴るのはあなただけです。この違いは非常に大きいです。
台風も地震も被害は甚大で、多くの悲劇が起こります。しかしながら、比較的「仕方のないことだ」と割り切りやすいです。生きている以上は一定の確率でどこかで台風や地震は起こり、そしてそれはその地域全体に平等に起こるのですから。
一方で、犯罪となるとそうは割り切れません。犯罪に巻き込まれた被害者の方の多くが「なんで私だけ」と憤りを覚えます。実際に私も犯罪に巻き込まれたらそう思うでしょう。
つまり、余計な感情のさざ波を立てない為には、皆に対して平等にやっていることを理解してもらうことが大切であるということです。
そうすれば、ほとんどの場合は納得してもらえます。それでも納得してもらえない場合は大抵は3つ目の個人的な感情のもつれというものが生じています。別の対処法が必要でしょう。
参考になりますと幸いです。
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